日記

ハリー・ポッターのスネイプ先生とオペラ座の怪人のファントム

1月の金曜ロードショーで久しぶりに観てからというもの、すっかりハリー・ポッターに再熱してしまいました。「再熱」とは言っても、そもそもハリポタシリーズを初めて観たのは1年前なので、再熱というほど推し歴も長くないのですが。

一年前に初めてハリポタを観たときに最も驚いたのは、百味ビーンズはハリポタの劇中に出てくるお菓子だったこと!(え?)

中学生の頃、クラスの女の子たちが百味ビーンズでキャッキャッしていたのを覚えています。

当時私は全くハリー・ポッターを知らなかったので、そのお菓子の見た目から「イギリスの輸入菓子」だとてっきり思い込んでいたのですね。

だから、高校生の頃にまたクラスメイトが百味ビーンズで大盛り上がりをしているのを見て、「百味ビーンズって名前の輸入菓子、スニッカーズばりに有名やん……でも成城石井とかカルディとじゃ見たことないぞ???」とものっそい真面目に考えていた私でございます。

なぜ手元にあったスマホで「百味ビーンズ」を調べようとしなかったのか、今ではわかりません。思い込みって怖いね。

ちなみにハリーポッター初鑑賞のときなどは……もうすっかり10年近く『百味ビーンズ』を「入手困難!でもみんな大好きなイギリスの輸入菓子」と思い込んでいたわけですから、劇中で映ったときにもちろんこう考えましたよね、

「百味ビーンズすごい!!人気過ぎて映画にも出てくるんだ!!!!!(*’▽’)」

違うよ~~~~~~!!!ハリー・ポッター発の、お菓子だよ~~~~~~!!!!

そんなアメリカ現代モノドラマに出てくるコカ・コーラじゃあるまいに。

セブルス・スネイプとファントム

すっかり話が逸れてしまいましたけれども。

最近ハリー・ポッターを観返していて、ふと思ったこと……それは「セブルス・スネイプとオペラ座の怪人のエリック(ファントム)って、いろいろと似ているな」ってこと。

オペラ座の怪人のファントム

ファントムって、彼にできないことは無いと言われるほど器用多才な人物です。でも、母親に愛されたことのない見世物小屋出身の醜男で、日陰に芽吹く者でした。

身を隠したオペラ座でクリスティーヌという女性に音楽を教え、慕い、あの有名な曲「the phantom of the opera」では彼の住処である地下へ誘います。あのシーンの美しさたるや、到底言葉では言い尽くせません!

物語の中盤以降は恋敵ラウルとクリスティーヌを奪い合います。が、その思いは叶わず、クリスティーヌとラウルは結ばれ、ファントム自身はいるべき場所に戻るとでも言うように姿を消します。映画版では、最後クリスティーヌの墓にバラの花と指輪を添えるシーンがあるんですよね。何年経とうとも、結ばれなかろうと、ファントムはクリスティーヌだけを思い続けました。

ハリー・ポッターのセブルス・スネイプ

一方でスネイプ先生は、魔法使いとマグルの間に生まれ、貧乏で恵まれない環境で育ちました。父からの暴力でマグルを嫌い、自身のアイデンティティを母親側の血……つまり「魔法」に見出します。年少のときから既に、上級生を凌ぐほど闇の魔術についてよく知っていました。

幼馴染のリリーのことを慕っていた彼は、ホグワーツに入学する前からリリーに魔法について教えていたことでしょう。在学中は自身で新しい魔法を作り出すほどの才能に恵まれます。やがて闇の魔術に傾倒していきますが、それはリリーの気を引くためでもありました。

セブルスはグリフィンドールのジェームズと犬猿の仲となります。やがてジェームズとバチバチに呪いを掛け合う中で、灰色パンツ事件がきっかけでリリーへの恋慕を「絶縁」という最悪の形で砕かれます。その後は死喰い人となり闇の世界に身を投じましたが、のちに二重スパイとなりハリーを守るという使命に命を費やしました。セブルスの守護霊は何年経とうとも姿を変えることはなく……あの「Always.」というセリフはあまりにも有名です。

〇 〇 〇

……ね、ねねねね、ね!! めちゃめちゃ似てませんか!?

スネイプとリリーとジェームズ。この関係性の構図は、はまさにファントムとクリスティーヌとラウルです。

スネイプとファントム。愛に飢えた愛を知らぬ者たちの魅力

私はファントムもスネイプも大好きで、「今まで見た作品の中で一番好きな登場人物は?」と尋ねられたらおそらくファントムとスネイプの名を挙げるでしょう。

でも、彼らの行いを手放しで称賛するか……と言われると、そうはしない。できない。

かといってすべてを批判するかというと……そうでもなく。

そんな手放しで褒められないような限りなく黒に近いグレーな、異様に歪んだ不器用な生き方こそが、とても魅力的なんですよね。

そんな彼らの共通点はまだまだたくさんあります。ぜひこの私めに紹介させてくださいまし。

神聖視

ファントムとスネイプの共通点。それは愛する女性の神聖視!

ファントムは、クリスティーヌをある種特別視し、神聖視していました。

クリスティーヌに歌を教え、彼女が歌うことを望みました。ラウルに誘われたときのクリスティーヌが「音楽の天使は厳しいの」のように言っていることから、ファントムはきっと恐らくスパルタ教師。その後の行動から見るに、たぶんヒステリックですらあります。

クリスティーヌに対しての感情はなかなか一方的で……それはもはや、支配的とも言えます。好きな子に門限を付けて監視するような。最近の言葉でいうとヘリコプターペアレント的な?

その後のストーリーでも、ファントムはストーカーかよってくらいクリスティーヌに支配的で衝動的ですよね。

一方でスネイプ。彼もまたリリーに恋をしていた……というより、自身の女神さまであるかのように崇めていたのではないか、と見て取れます。ファントムと同じように、リリーを神聖視していたのです。スネイプはリリーの優しさが好きだったのに、リリーのように優しくはなろうとしなかった。また、リリーの気を引こうとしてしたことは、紳士的な振る舞いやクィディッチでの活躍ではなくて、「闇の魔術」の腕を磨くことだった。これらの行動は、やはりファントムと同じく支配的であり、リリーの気持ちを考えていない一方的なものです。

ファントムやスネイプの彼女たちへの思いは、決して対等な恋心や愛情ではありませんでした。ときに聖母様に向けるような崇拝であり、ときに別のお家で飼われている可愛い猫ちゃんを家に引き入れようとするヒステリックな隣人でもありました。

その決して対等ではない感情がどうして生まれたのかと言うと、ひとえに生まれの貧しさのせいでしょう。親に愛されず、自身その者に対する自尊心がまるで育たず、自己肯定感が異様に低いためです。自己肯定感の低さ故、何の見返りや偉業もない状態では愛してもらえない、対等になれない、という感情が発生します。

その自己肯定感の低さこそが、ファントムを何でもできる音楽の天使に仕立て上げ、セブルスを闇の魔術の秀才に仕立て上げたのです。そして、その自己肯定感の低さこそが、「自身に唯一優しくしてくれる隣人」を狂信させるに至ったのです。

クリスティーヌとリリーの共通点は、そんな闇の住人のようなファントムやスネイプに対しても優しく、少なくとも途中までは見捨てなかったことです。見捨てることとなったきっかけがファントム/スネイプと真逆のタイプの男(ラウル/ジェームズ)の登場であったことも、共通点です。

「シャドウ」の登場

自己肯定感が奈落の底のファントム/スネイプに唯一与えられた天国のような温かい時間は、そう長くは続きませんでした。

ファントムとクリスティーヌの間にはラウルが。スネイプとリリーの間にはジェームズが現れます。

ラウル/ジェームズは、ファントム/スネイプのシャドウとも言うべき真逆の存在です。これらの登場により、リリーやクリスティーヌが単に彼らにとっての「聖女」ではなく、「一人の普通の女性である」ということが強調され、陰の者たちの心の貧しさと歪みを強烈に意識させることになります。

シャドウとは。

ユング心理学において、自身の「生きられなかった反面かつ半面」であり「意識(自我)の否定した要素」が心の中でイメージ化されたもののことです。

夢においてシャドウとは、自分の反対の性格をもつ同性として現れることが多い。

このシャドウという存在。真逆の性質ではありますが、似ているところがあるのもポイントです。(……ラウルは当初「音楽の天使は厳しいの」と言うクリスティーヌにやや強引に迫っていました。ジェームズはスネイプと呪い合い、多人数でスネイプを囲むこともありましたね。灰色パンツ。)

でも、ラウル/ジェームズが闇の2人と違うのは、「生身の等身大の女の子としてクリスティーヌ/リリーに接し、対話をし、自己のシャドウを乗り越えた」ことです。

ジェームズは当初、傲慢で気取ったどうしようもないやつでしたが、物語が進むにつれ、その性質の悪さを改めました。

ラウルは暴走するファントムに怯えるクリスティーヌを守るように、ファントムと決闘したり命を狙われる覚悟で彼の住処に突っ込んでったりしました。

反対に、ファントムやスネイプはどうだったか、というと。

意中の女性を狂信者のように神聖視したまま。彼女以外のすべてはどうでもいいといった風で。いくら優しさをもって説いても、心を改めるチャンスを与えても、彼らは聞く耳を持ちませんでした。

クリスティーヌやリリーの持つ分け隔てない優しさにより、長くずるずると彼らを見放さずに長く一緒にいたものの……、もうとっくに、二人をかろうじて繋いでいる情という名の糸はもう千切れてしまいそうな状態だったのです。

とっくに限界を迎えていた限界の中で、「正反対の男」が自身の言葉を受け入れ、改心したり勇敢に闘ったりする姿を見せられたらどうでしょう。クリスティーヌやリリーがそちらを選ぶのは当たり前です。

帰還不能限界点、不条理

ライバルに負けたファントムとスネイプ。彼らの何がダメだったのかは明白ですが、そのダメダメさを責めきれない過去がある……というのがこれまた似ていて、この似たもん同士の二人を更に魅力づけています。

ファントムとスネイプの敗因は、明白に、優しさ(愛情)に恋い焦がれながら自身も誰かに優しくなろう愛を向けよう、と思えなかったこと。ついぞ神聖視だけ一丁前で、対話という対話もせずに「僕の考えた理想通りの恋愛シナリオ」を実現せすべく相手を自分だけのものにしたがったこと。

もしクリスティーヌやリリーが彼らの反省会にコメントしてくれるなら「私はあなたのお人形さんじゃないのよ」というキツいお叱りの言葉を与えてくれるかもしれません。

でも、彼らをこんなに不器用にしたのは何でしょうか。ええ、生まれながらにして模範的な愛情を与えられなかった経験です。さらに、自己肯定感の低いなりに一生懸命不条理に抗って何かにアイデンティティを見出したことが悲しいかなこの悲劇の遠因にすらなったと言えるでしょう。(たぶん)

でも、こんなダメダメで悪や闇に染まっていた彼らにも、捨てきれない不器用な善性がありました。ファントムはクリスティーヌに音楽を教え最後には手放し、スネイプはリリーの死後命を懸けてハリーを守ったこと。彼らは恵まれなかった人間ではあったものの、根っからの悪人だったわけではないのです。情状酌量の余地ってやつ。

この捨てきれない善性のかけらがあったからこそ、

「もし彼らが幼少期を幸福に生きていたら……」

「もし彼らが、帰還不能限界点(point of no return)を超える前に改心できていたら……」

こう思わずにいられません。

こう思わせる複雑さこそが、ファントムとスネイプ先生の魅力なんですよね。

〇 〇 〇

決して身姿は美しいとは表現されなかったファントムとスネイプですが(演じている俳優さんたちはめちゃめちゃかっこいいけど!!!!!アッ、そこも似てるね!!!)、運命の不条理に飲み込まれ抗い、たとえゆがんだ形だっとしても愛する人のために命を燃やした2人は私の大好きなキャラクターです。

 

えっと~~何の話してたんだっけ。そうそう!!ファントムとスネイプが似てるって話でしたね。

あ、もちろん「似てる」って悪い意味じゃないんだよ!

好きなキャラクターに共通点を見つけてめっちゃうれしかったんだよ~!!って話でした。おわり。

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