日記

マルハラ……!?ほう、そんな概念があるんですねぇ。。。。。。。。

こんばんは。ギリギリZ世代1999年生まれの私です。今日も崖の上をフラフラするように生きています

一人暮らしを始めてからすっかりニュースを見なくなりました。ザッピングするテレビもなければ、せっかく手に入れた自由な時間をyahoo!ニュースで食いつぶそうなんて気持ちもありません。通勤時間も3分くらいしかないので、経済の動向を通勤時checkすることもありません。社会人の当然のルール守っていませんうっせぇわ。

ニュースを見ない。それは時間を有意義に使うという点において言えば、大変すばらしい心がけです。が、それと同時に世間に取り残されることでもある……とも感じた2024年バレンタインデーでした。chu

聞くところによると、私がスネイプ先生にトチ狂っている間に、世間では「マルハラ」という概念が話題になっているようです。ヘェ。。。。。。。。。。。。

なんとも、最近のヤングな若者たちは、文章の句点に苦手意識を抱いてる、との話なんです。

まんじゅうこわいの仲間かな、と思っていたのですが、その実、「了解です」「わかりました」のように句点があると、相手が怒っているのではないか……と感じてソワソワしてしまうのだとか。ほうほう!なるほど。

んで、真面目な私は「なんで怖いって感じるのだろう~?」と疑問に思いながら、今日一日仕事をしていたわけですが、どうにも私のこの一切合切凡庸な頭では「効率主義の自業自得に他ならない」という答えを出すので精一杯だったようです。

〇 〇 〇

動画は二倍速視聴。本は解説動画か要約サービスで。ファスト教養。映画はネタバレを読んでから。感情は動かされたくない。失敗したくない。無駄なチョイスをしたくない。物語の行間は読まぬ。効率主義に鼻息荒くし、解説記事を読むのさえ避け、解説動画。さらにそれを、倍速どころか、10秒スキップやシークバーを長押しスライドするだけ……で見ることだってあるらしい。令和人すごくない!?

メッセージを送るとなれば略語(「り(了解の意らしい)」とか)やスタンプで、最低限を最速で伝えることが当たり前になっている……ようだ。

お、おお……。すごい時代だ。早い。早すぎる。俺じゃなくても見逃してしまう。

ドストエフスキーを一言一句取りこぼさず舐めるように読む私からすると、そのような速度重視の生き方はおそらく真逆なのだけれども。でも、若者がタイパ・コスパを求める理由や、その裏にある焦燥であったり疲労感であったりは、多少わからんでもないなぁ……の気持ちになりました。

現代はあまりにも早く、密なのだ。まだケータイの電波が3Gだった頃は、画像や動画を送信しようもんならめっちゃ時間を食っていました。まだパソコンがXPなんかだった頃は、重たいソフトウェアをインストールしようもんなら時間がかかりましたし、同時にGoogleのタブを開きすぎると普通に固まりました。実家にあったWindowsXPを強制終了させた回数は数えきれません!

TwitterやInstagramがない頃は、おいしそうなカフェの情報や評価の良いコスメの情報は人伝いあるいは情報誌伝いでしたし、行動範囲は狭く娯楽の選択も今ほど多くはありませんでした。

それが今では、年齢を問わず誰でも、手元の小さなコンピュータであらゆる情報にアクセスし、あらゆる娯楽を享受できるようになりました。コーラにそれ以上砂糖を溶かせないことのように、現代の情報量と選択肢は我々の脳と四肢が捌ききれる量をはるかに凌駕しており、私たちはそれに踊らされています。

効率主義というのは、ある種、この多すぎる情報量の中をできる限り疲労せず、苦労せず、無傷で生き残るために開発した手段なのだと思います。ある意味、ありし日の野外フェスや、いにしえのアニメ、「おくすり」的なカウンターカルチャーのようなモノだと思うのです。効率主義とは、現代のサバイバルナイフなのです。

 

話がたいへん逸れました。

思うに。タイパ、作業効率化、が謳われる現代世界の中で、コミュニケーションにおいてもっとも初期の段階で排除されるのは句読点であることには納得です。句読点に次いで、助詞もそこそこ排除されます。……速読術で「句読点、助詞、文章の後半は読まない」等と指導されるのが、奇しくも私のこの考えを裏付けます。

でも、そのタイムパフォーマンスを追求した先に「句読点が怖い」「文章が読めない」「文章が書けない」があるのならば、それは本当に効率化できたと言えるのだろうか……と思わないわけでもないのです。

少なくとも、上司や客先や友人からのメッセージに添えられた句点に精神的ダメージを受け意味を僻んで推し量る時間と精神力は無駄ですし、文章が読めないことでメールや情報記事の返り読みと余分なキャッチボールが発生すると時間が無駄に食われます。(ファスト主義により緩やかに社会全体の文章力が衰退すれば、かえって問題ないのか……!?)

文章が上手に書けなければ、たった一通のメールを送るのに何十分も余分に費やすことになるのでしょう(も、もしかして彼らはすでに、生成AIに書かせているのか……!?)

ああ、そうか。きっとそれは、私たちの生存戦略だったのです。そう思うと、情報多すぎ社会で必死に息をしようとする若者が、その代償として句読点を怖がることを責めるのは酷な話だなぁ……とも、思っちゃうわけなのです。

そして、読めないなりに、怖いなりに、新しいツールは、ニュースタンダードはすぐそこまでやってきているのです。時代は絶えず変わっている。3G回線はじきに5Gになるし、ADSLがブイブイ言わせてた時代はとっくに終わり10Gbpsを各家庭に引くことすら容易な時代になっているのです。私が中学二年生の時にお下がりでもらったiphone4sも、今じゃナンバリングが15まで進んでいるのです。

えぇもしかして、「マルハラ……!?ほう、そんな概念があるんですねぇ。。。。。。。。」とか言っちゃっている私のほうがむしろ、結構深刻に時代に取り残されているのでは!?アナロ熊と一緒に平成に取り残されている?そもそもいまの子供たちって地デ鹿とアナロ熊、知ってる?知らんよなあ。こういうところが……古い……ッ!

冗談はさておき(さて置くべき冗談が多すぎる)

句点が怖い、とか、まとまった文章が書けない・読めない、という昨今のそれが広まったら……案外、電話主義時代に逆戻りしたりして。

「電話は相手の声音から感情を察せられるし、文章を考えなくてもいいから楽なんです!」という時代が来ちゃったりして。

そ、そ、それは困るな~~~~。こんな小難しいこと書いている小娘だけど、私も若者の一員らしく、あまり電話が得意じゃないものですから。ネ!

私は文章のほうが大好き。小説やメールやお手紙が大好き。

電話や対面だと緊張して思い通りに話せないけど、文章ならほとんど苦労せず自分の意志を伝えることができます。気楽ったらありゃしない。当然、句読点も愛している。だからこうして日々の些細な出来事や考えたことをブログで書きなぐることにハマっているわけなのですが……。こんな忙しい時代にだからこそ、3000字近くもある一個人の日記を読んでくれてありがとうって思っています。ここまで読んでくれてありがとうね。

ちょっと現代の代弁者気取りの日記になってしまいました。そもそも今日も冒頭から稲葉浩志になりきってて何回読ませんだそのパロディって思われてそうですけれどね。せ~の、\おつかれ~!/

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