日記

大人になってから、早生まれで良かったとしみじみ思う。

スーパーマーケットは冷酷です。冷蔵棚の冷気のことではありません。性格的な意味で、です。なぜかと言うと……この季節になると、私が1歳老いるのを今か今かと待ち構えてカウントダウンしてくるのですから!ええそれも、毎年毎年飽きることなく!

つまり、私の誕生日が3月2日ということです。惜しい、あと一日遅く生まれていればなぁ。永遠のお雛様になれたのに。いや、もう雛とは言えない……どちらかというと、ただの鶏。コケッコ コッコケコー

そして今日は2月16日。早いもので25歳になるまで、あと15日となりました。あと15日になってしまいました。楽しいひな祭り♪そんなわけあるか♪

昔はね、「明かりをつけましょぼんぼりに♪」と聞くたびに、もうすぐ自分が一歳大人になることを強く意識し、心が躍ったりしたものです。

ですが今となっては、どうでしょう。ウワーもう25歳かヤメテクレー ♰時よ止まれ♰ なんて思います。ねえもうすっかり、20代も半分終わるわよ。どうしよう?(どーする!?)

小さい頃は。「25歳」と聞くと、あらゆる知識を知っていて、仕事がバリバリできて、お金もたくさん持っている……そんなすごい大人なのだと思っていました。でもその代わりに、きっと25歳の大人になるためには自分の趣味や夢といったものを捨てなければならなくて……「大人になる」=「夢を捨てること」だと思い、怯えてもいました。

若さゆえの万能感に浸りながら壮大な夢に執着している私には、永遠に「25歳」になる瞬間は訪れないだろう。漠然と、根拠なく。未来の私は24歳の2月末とともに過去に取り残され、存在ごと抹消されるに違いない!なんて思ったりもしていました。小説の読みすぎですねぇ。

でも、ただ今24歳の暮れ。実際は全然そんなことはなくて。存在がなくなることもなければ、夢を追うことをやめる必要もなくて。

今でも、昔からの趣味であるお絵かきや、読書や、英語学習は続けているし。「一発当たらないかな~」なんて若干のシタゴコロさえも抱きながら、あえてこうして日記をブログと称して公開したりもしている。

いつか歌ってみた動画とか出してみたいな、とか妄想しながらドライブ中にAdoになりきって歌うし、動画編集をしたくてAviUtlをダウンロードしてみたりもね。

12歳の頃の私に比べたら、当たり前に賢くなった。でも、常識や知識と呼ばれるモノもそれなりに豊富になったけれども、賢者や博士と呼ばれるには程遠く。仕事がバリバリできるかというと……ちょこちょこミスをするし、やる気が出ない日だってある。

お金があるかと言われれば……オホホトホホのトホホギス。まあ、中学生のお小遣いよりはありますけれどね、全然これっぽっちも富豪じゃあない。デパコスが欲しいときは家計簿と睨めっこをするし、ボーナスでヴィヴィアンウエストウッドの腕時計を買うかPradaの靴を買うかで迷う。ええいままよと買うのは怖いと言ってブレーキを踏むけれど、買えないこともないかなってくらいの稼ぎしかない。くそったれの現実。

〇 〇 〇

「25歳はすごい大人だ!!」と鼻息荒くしていた過去の私に言えることは、「25歳がすごいんじゃない。お前がまだ極めて小さな世界でしか生きたことがないだけだ」ということだと思うのです。きっとみんなもそうだよね?

井戸の中しか知らない蛙が、川や池を初めて見たらどう思うだろう。湖を見たらどう思うだろう。きっと感動するに違いない。でも、世界の有する水場は川や池や湖だけではなくて、もっともっと広大で、ほとんどすべての人類が到底すべてを把握できっこない大海という水場さえ、この世には存在している。

その大海(つまり、世界のすべて!)を25歳目前の私がちゃんと観測できたか、というと答えはもちろんNOOOOO!!!!

でも、12歳の私と大きく異なるものがあるとすれば。それは「大海」という存在があることを知り、自身が「大海」についてちょっとしか知らないことを知っていること、それそのものだと思う。

幼少期はせいぜい川か池くらいまでしか知らなかったもの。そして25歳くらいの大人というのは、24歳の今の私が思うに、せいぜい井戸を出て川か池くらいに到達した程度の小童なのだ。25歳は、せいぜい小さな蛙が予感する池程度の規模の存在でしかなく。その向こうには、さらに大きな海……つまり、もっとすごい大人が待ち構えているのだ。子供たちの知らない海で、大人の世界を生きている大人が!

私の歩く道が一歩一歩着実に海の方へと近づいていく。それは大変うれしいことであり、それと同時に「ちょっと待ってくれよ。休憩させてくれよ。たまには逆戻りしてもいいだろ」と思うことでもある。

まだ海を見る覚悟はできていないし、まだ海を見なくていいとも思う。そんなときがある。

だから、海を見たくなくてぐずぐずするとき、自分が同学年の友人たちより歳を取るのが少し遅くてよかったな、と思う。生まれながらにして同学年の4月初旬生まれより、300歩以上遅くスタート地点に立った自分に、お前やるじゃんと言いたくなる。

3月生まれのせいで、友達よりもポケモンを買ってもらえるのが毎年遅くて。15禁指定されがちのちょっと怖かったりムフフン♡だったりなアニメの解禁が1年遅くて。勉強や運動では、みんなについていけるかどうかずっと親に心配されていて。早生まれは受験に不利と言われて。

でも今じゃ真逆。「そっか、まだ25歳なんだ!!いいなぁ!!」と羨ましがられる。幼少期に感じていた「1年分の経験値不足」感はすっかりなくなり、知識量の差や体格差なんてものは最早なく、仕事において生まれ月による不利有利なんてものはない。

ただただ、早生まれってだけで「みんなと同じ経験をしているのに、まだ1歳若い」って特別感を味わえる!わぁ、なんてすばらしいんだ早生まれ!!

私はそんなひな祭りガール(※ただし1日フライング)な自分を世界最高のラッキーガールだと思っている。

だからたぶん、きっと明日もスーパーマーケットで「加齢をカウントするな」と悪態をつきながらも、ようやくみんなと同じ25歳かぁ、なんてちょっと得意な気分になるのだろう。

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